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どう出版編集部ブログ

季刊誌『道』を発行している、どう出版の編集部が書き綴っていきます。

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季刊『道』170号(2011秋)の巻頭対談にご登場いただいた医師の肥田舜太郎先生が3月20日、肺炎のためお亡くなりになりました。享年100歳。

肥田先生は1945年、軍医として広島陸軍病院に赴任中に被爆。直後より被爆者治療に携わり、以来、2009年に医師を引退するまで被爆者に寄り添い続けてこられました。

『道』では、核がいかに人間の手に負えないものであり人間をむしばんでいくものであるか、これに頼って生きることがどんなにばかばかしいかを語ってくださいました。
そのメッセージには何ものにも揺るがない迫力があります。
それは、次に紹介する訴訟のあとの肥田先生の言葉にあるように、医師であることでも学問でもない、人間としてつきあってきた、その一点にあると思います。

被爆者の原爆症認定を求める集団訴訟で、直接被爆でない原告の原爆症認定を勝ち取った時のお話です。

   ◇   ◇

(直接被爆をしていない原告の症状は放射線と関係ないという相手に対し) 

 それに対し僕は、多くの人が最初はこういうふうに死んで、5年ぐらいたつとこうやって死に、25年するとこのように死んだ。こういうように死に方がどんどん変化するんだと。そうやって時間の経過を20回分くらいに分け、死に方の変化を示して、放射線の作用の変わり方を話したんです。生きた人間のね。その一つひとつの死に方の基礎になる考え方を、アメリカの学者が本で書いてくれていたんですね。それを訳した本を裁判では証拠として出したんです。

 だから最後に勝った時の大阪の裁判官の判決文の中で、「ドクター肥田の発言について、アメリカの学者の本の何ページに裏付ける言葉が書かれてあった。肥田の言う通り、学問的にも証明されている。よってドクター肥田の言っていることは正しい」と言って勝たせてくれたんですね。
 だからあとの裁判は全部右へ習えとなって、以降28の裁判すべてに勝てたのです。

 それがなぜできたと思いますか。
 それはね、僕がその人間と死ぬまでつきあったからです。

 最後には涙を流して、「俺、助けられなくてごめんね」と言って目の前で亡くなっていった人たち。
 そういう人間のつきあいというのは学問とかの理屈じゃない。

 そしてその人がなぜ死んだのか、死ななくてはならなかったのか、そこを僕は知りたかったのです。

   ◇   ◇

肥田先生の生き方から、人間の強さとは何か、寄り添うとは、裏切らないとはどういうことかなど、学ぶことがたくさんあります。

心より、ご冥福をお祈りいたします。

20170321.jpg


[季刊『道』 170号]

[対談集『大河にコップ一杯の水 第3集』]

2017.03.21 11:52 | 編集部より | トラックバック(-) | コメント(0) |












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