
2011年の東日本大震災の時、松野さんは海岸から400メートルの病院に、進行性の末期がんの治療で入院していました。
そしてあの津波が病院を襲います。
「必死に走って非常階段にたどり着いた時、看護師さんが私を引っ張り上げてくれた。
引っ張り上げられて体が浮いた次の瞬間、水がだーんと病院に入ってきて、階段踊り場に逃げ込んでいたお見舞いの人がダーッと流される状態を、私は引っ張り上げられながら見ていたんです」
あと1秒遅かったら助からなかった……。
病院をまたたく間に呑みこんだ津波から九死に一生を得た松野さん。
この津波でお父様も亡くしながらも、以降、被災した人たちのために来る日も来る日も夢中で炊き出しを続けます。
すると、数ヵ月後検査をすると、全身に広がっていたはずのがん細胞がすっかり消滅していたのです。
「そうやって夢中で白いご飯をどんどん炊いたり、おにぎりや炊き立てのご飯を配ったりして頑張って動いていた。
たぶんそうやって動いていたのが、がん細胞がゼロになった一番のきっかけだと思います」
松野さんは、チリ津波でも、妹さんとお婆様を亡くす悲しい体験をしています。
「あの時も大変な思いをしましたが、でも助かって、病気をした時に余命がありませんと言われても生きることができた。
今度の大震災でもこんな形で私は生き延びることができた。
多分ご先祖様が私を生かしてくれていると思うし、見えないところで応援してくれていると思う。
頑張っていればもっともっといいことがあるかなって思うから」
見えない力は、必ずある。そう確信した会見でもありました。
そして何より、松野さんの壮絶な体験と、勇気、そして底抜けの明るさから、たくさんの元気をいただきました。
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マクロビオティック創始者・桜沢如一氏の愛弟子で、現在92歳の田中愛子先生にお話を伺いました。
田中先生は、お母様のご病気をきっかけに、世界的なマクロビオティック創始者である桜沢先生に10代で出会い、戦後間もない頃から愛弟子としてマクロビ普及に世界中を回ってこられました。
食べ物を薬とする食養で多くの人の健康を取り戻す活動は、70年にも及びます。
田中先生のすごいところは、その世界をめぐった活動の実践方法が実に特別であることです。
それは、どこに行くにも、お金を一銭も持たず、常にゼロからの出発。
あるのは、食べ物を薬とする食養という実践方法のみ、というもの。
「桜沢先生に『玄米だけ知っていたら、どんな病気でも治せるから、海外に行ってごらんなさい』とベルギーに送り出されたんです。
出されたけれど、お金を一銭も持ちませんでした」
「とにかく行ったら何でも試してみようとやっていたら、見事に病気を治せるのです。
ご馳走ばかりを食べて病気になった人に、玄米をよく噛んでいただいてもらうと、命が真っ直ぐになる」
各地での自分の生活を自力で建てながらの、まさに修行の日々。
それが、20代の頃から、しかも戦前、女性一人で、というのですから本当に驚きでした。
田中先生のお父様は、娘を初めてヨーロッパに送り出す時に、
「何かあったらこれで切腹しろ」と、
家伝の短刀を渡されたそうです。
また合気道の創始者、植芝盛平翁にも護身術の特訓を受けたそうで、その時の盛平翁との様子も語っておられます。
やさしい容姿からはとても想像できない、女性の底知れぬ、芯の強さ、エネルギーを感じた会見でした。
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俳人で、元海軍主計大尉の 金子兜太さんにお話を伺いました。
金子さんは、今年97歳。
2015年の7月に安全保障関連法案の成立を目指す安倍政権に反対の意思を示そうと、全国で掲げられたプラカード「アベ政治を許さない」を揮毫したのが、この金子さんでした。
金子さんは、太平洋戦争時の1944 年3月、米軍によってすでに無力化されていた連合艦隊の拠点であるトラック島に派遣され、敗戦後も1年3ヵ月米軍の捕虜となったのち、最終船で引き揚げてこられました。
極端な食糧不足のなか、トラック島での金子さんの壮絶な体験は、命の駆け引きのある第一線ではない、「日常」のある戦場においても人が死んでいくという現実があることを教えてくれています。
ある日、金子さんの部下の工員が、手榴弾実験で命を失います。
「自己顕示欲が強くて自分のことばかり考えているような集団でね。そのうちの一人が死んだ時の、あの、彼らの仲間意識。守ろうとするその気持ちがね……。いかにも人間的なんですよ。あったかい。
私はつくづく思った。『ああ、戦争というのは、こういう良い連中を、どんどん死なせてしまうものなんだ。戦争というのは悪だ』とね。」
金子さんは、現在の、戦争を生で体験していない人たちが戦争を頭で語る、知識で語る、そんな風潮に危機感をいだき、生きている限り、戦争の本当の姿を語り続けるのだとおっしゃいます。
金子さんはこの会見で、これまでどこにも話をしたことがないという体験をお話しくださいました。
それは戦場で体験された、金子さんたちの命を救った不思議な光との出会い。
「この人たちを救わなければ」というぎりぎりの状況でふんばった金子さんが、呼び寄せた光であるのかもしれません。
「私は、先の15年戦争の時に、青年期だった。あの時に身に染みたこと、それを絶対ゆずっちゃいかんと思っている。自分の信念のままにやれ、と。
そういう思いで戦争から帰ってきた。
戦争のことを語っていこうと。戦争に向かう人たちと徹底的に戦っていこうと。
そういう思いでいます。」
是非多くの方に、金子さんの深い思いを知っていただきたいです。
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